明日でミーがこの世を去ってから一週間。
この一週間、人といる時はいつもと変わらぬ様子を努めていましたが、
やはり家にいる間は大切な家族の喪失感と自責の念に駆られている毎日。
あの時、私はミーが布団の中で様子がおかしい事に気付き録画をしました。
思うように立ち上がれないだったのでこの様子を録画し、
その日に動物病院で見てもらおうと思ったからです。
録画直後はまさかその後、息を引き取るとは思いもよらず・・・。
心肺停止した時は録画を止めようかと思いましたが、
兄や親にもミーの最期を知って欲しい事と、
自分が生後一週間から最期まで看取ったという事を残しておくべきと判断して最期まで録画を続けました。
ミーの死後、兄にその録画を見せた時、
兄は「お前に最期まで見届けてもらえてミーは幸せだったよ」と話してくれました。
その言葉を素直に受け入れたいけど・・・やはり自身は納得できません。
ミーの火葬後、骨を見た葬儀の方は
「骨髄が骨と網に付くということはまだ健全だった証拠なんですよ」
「骨が太くてしっかりしてるのでとても18歳には見えない」
という言葉が強く残っています。
『自分がもっと細心に変化を気付き、徹底していれば
まだミーは生きていられたのではないか?』
そんな自問自答が1日中続き、気付いたら1週間。
今はまだ「ミーはいなくなってしまったけど、ミューと頑張っていこう」と決意しても、
ものの10分もすれば「ミーがいない・・・またいつもの様に撫でたい・・・」と逆戻り。
でも少しずつ自分のペースになりますが、
振り返らず・・・だけどミーの思い出を忘れずに前を向いていこうと思います。
明日はミーの初七日。
猫の世界にも初七日があるのか分かりませんが、
お風呂&シャワーが嫌いなミーが三途の川でびしょ濡れにならぬよう、
渡し賃(?)のマタタビで船に乗せてもらえてる事を祈ります。
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